2008年9月17日水曜日

9/17 Today 黄海海戦 (1894)……新興国を物量で圧倒できなかったのが清国の敗因

黄海海戦 (日清戦争) - Wikipedia: "黄海海戦(こうかいかいせん)は1894年(明治27年)9月17日に大日本帝国海軍連合艦隊と清国北洋艦隊の間で戦われた海戦。鴨緑江海戦とも呼ばれる。初めて近代的な装甲艦が実戦に投入された戦いとしても知られる。この海戦の結果、清国海軍は大きな被害を受けて制海権を失い、清国海軍が日本を脅かす事は二度と無かった。"

「眠れる獅子」と恐れられていた当時の「超大国」清はこれを境として急速に下り坂を転げ落ちて行く。経済力、文化で圧倒的に優位にあった清がどうして貧乏な新興国の日本に敗れたのか。

ごく単純にいえば清が油断して日本との軍事バランスを拮抗させてしまったから。西太后が宮殿を造るために軍事予算を削り建艦競争において日本の追いつきを許してしまったのだ。黄海海戦当時の両国の海軍力は性能を加味すると、ほぼ同能力であった( 岡崎久彦『陸奥宗光とその時代』 )。

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岡崎 久彦

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物量がほぼ同じであれば勝負は時の運となるし「まだ沈まぬや定遠は」の歌にあるような勇敢な兵士で構成される日本海軍の方に分があるわけ。

老大国(成熟国)が元気のいい新興国の挑戦を退けるためには物量で相手を圧倒しておくことが必要なのである。経済戦争において追われる立場であった日本が心しておかねばならなかった教訓であった。でもニッポンは国際競争力向上に結びつかない無駄な利益誘導型「バラマキ」を長年続けた。その結果、物量でも新興国中国に圧倒されてしまった。戦後自民党政治の最大の汚点である。

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